2026-08-21 HaiPress
明治初期、東京都港区に北海道のアイヌ民族に同化教育を課す開拓使仮学校付属の「土人教育所」があった。その後のアイヌ民族への同化政策への足掛かりとされたと指摘されている。なぜ創設され、どんな「教育」がなされたのか。23日には、教育所で亡くなったアイヌ民族らの先祖供養「イチャルパ」が開かれる。(木原育子)
※「土人」は差別語ですが、史実を伝えるためそのまま使用します
時は、西欧列強が凌駕(りょうが)した明治初期。文明開化といった脱亜入欧の精神は日本の近代化を加速させ、特にロシアの侵入を防ぐ北海道は地政学的に「皇国の北門」と位置付けられた。

北海道から集められたアイヌ生徒=北海道大学付属図書館 撮影協力、所蔵
明治政府は1869(明治2)年、北海道の開拓と統治を担う司令塔となる「開拓使」を設置。その実務者を担う学校として1872年に開拓使仮学校を創設し、その付属機関として港区の芝公園内に土人教育所を建てた。開拓使仮学校は、のちの札幌農学校(現北海道大)につながる。
開拓を進める上でアイヌ民族への...
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